ご挨拶
蕎麦打ちパフォーマー
紀元前から存在が確認されている、そばの実。
それから長い時を経て江戸時代中期に「蕎麦切り」と呼ばれる、多くの人々が思い浮かべる形の蕎麦が生まれました。
蕎麦切りが誕生してから先人達が脈々と確立し、後世へと伝承してきた蕎麦に関する技術を、次世代に伝えていく…それが私たちの使命だと考えています。
また、親御さんが打った蕎麦をお子さんが食べ、蕎麦の味や食感など蕎麦に対する興味関心が湧き、ひいてはお蕎麦屋さん・蕎麦職人になる夢を抱いていただければとても喜ばしく感じます。
近年、栄養価という観点のみならず、食育などの観点からも国内外問わず非常に多くの関心が寄せられている、蕎麦。
これからも蕎麦打ちパフォーマンス・蕎麦打ち教室を通じ、多くの方に蕎麦の歴史・文化を伝承していき、100年、200年と日本の蕎麦文化、ひいては料理・食文化が続いていけるよう精進して参ります。
略歴
- 手打ち蕎麦 元さん(葛飾区)
- 三味彩食 いわこう 自営(千葉県松戸市)
- 更科布屋(港区浜松町)
- 更科布屋 世界貿易センター店 チーフ(港区浜松町)
蕎麦歴29年。現在は蕎麦打ち教室を主宰。蕎麦打ち教室の詳細はこちら
2024年で丸9年を迎えました。西葛西 清新町コミュニティ会館を中心に通算535回(2024年5月19日現在)開催してます。
実績
講演・セミナー実績
- 日本フードアナリスト協会 「今こそ日本蕎麦を語ろう 女性は必見!日本蕎麦ってスーパーフードって知ってました?」
- 江戸川区立篠崎小学校 味覚の一週間 「出汁・旨味について」
- 江戸川区立臨海小学校 味覚の一週間 「出汁・旨味について」
蕎麦打ち開催実績
- 江戸川区 清新町コミュニティ会館
- 瑞江東部フレンドホール
- 瑞江 リラクシー レンタルスペース
- ベルエポック製菓調理専門学校 特別授業
- 護国寺 LIFE STYLE LAB
- 東高円寺 DEKORA KITCHEN STUDIO
- 渋谷区 文化総合センター大和田
- 茅場町 ラクビーバー K50
- 東京都練馬区
- 千葉県袖ケ浦市
- 千葉県松戸市立大橋小学校
- 千葉県松戸市 三味彩食 いわこう
- 神奈川県横浜市本牧 薬膳cafe
- 宮城県仙台市
- 大阪府大阪市
- グリーンパレス
- Tsukiji cooking studio
- ラーク所沢
- ステライーストふじみ野
メディア実績
- 日本フードアナリスト協会季刊誌 サヴァラン
- 原アンナのなでしこラジオ
- 富士山GO GOFM 南條亜紀子のフジヤマサンライズ
- マツコ&有吉 かりそめ天国
- FMえどがわ 『見つけた えどがわ元気人』
- レインボータウンFM『上野淳☆東京夜会』
- YOUTUBE 『岩品幸司日本酒ギャラリー壺の中 蕎麦打ちデモ』
- ミュージカル『テニスの王子様 バラエティスマッシュ!vol.6』
たっぷり料理してやるぜ越前!~ライバルズの越前そば打ち対決~
岩品幸司について
生い立ち
1964年4月2日、東京都足立区出身。
足が速く、小学1年生と2年生の時、運動会のリレー選手として他の選手を一気にごぼう抜きしトップでゴール。周りをざわめかせました。小学3年生の時に足立区から埼玉県大宮へ引っ越し。足立区では負けなしでしたが、大宮でははるかに速い人が沢山おり、小学生にして挫折を覚えました。
中学校では生徒会の会計に立候補し、トップで当選。中学、高校とバスケットボール部に所属し練習の毎日でした。
大学では混声合唱団に所属。ミッション系大学で、賛美歌等を歌っていました。混声合唱団の学園祭の出し物がなんと『混声名物わんこ蕎麦』。当時父が飲食店を経営していたためか、4年間蕎麦汁担当に。これが蕎麦との出会いでした。
社会人から飲食の世界へ
大学卒業後は丸宏証券に入社、10年間営業をしました。
毎年新入社員が配属されると、どの支店長も必ず私に教育係を頼んできました。私は教えるという事に嬉しさを感じてました。蕎麦打ちを教える事の第一歩でした。
社会人生活も7年目くらいの頃、父から「お前もそろそろ飲食の世界に来ないか?」と悪魔の囁きがあり考えることに。父のアドバイスで蕎麦屋を目指しました。
その頃、知り合いが手打ち蕎麦屋をオープンするとのことで、毎週土曜日は蕎麦屋を手伝いながら4年間手打ちを教わり、プロとしての自覚と自信を磨きました。
教室を開くきっかけと修行の日々
家族とともに和食(蕎麦)、洋食、中華料理を楽しめる飲食店をオープン。
認知度向上もかねてお店の定休日に蕎麦打ち教室を開催。すると小学校から「生徒に蕎麦打ちを教えてほしい」という依頼をいただき、教わっている子ども達のキラキラした目の輝きに私もワクワクしながら教えておりました。
現在は残念ながら飲食店は閉店いたしましたが、蕎麦打ち教室を開く大切なきっかけとなりました。
その後、蕎麦打ちをより極めるため浜松町の更科布屋で蕎麦修行。非常に賑わっている店でした。10年以上修行を積みましたが、ここでの経験が今の蕎麦打ち教室の基礎になっています。
葛藤そして現在
蕎麦打ち教室の道を開くまで、色々な葛藤がありました。
友人、知人から叱咤激励、アドバイス、説教、沢山いただきました。就職も考えました。ある会社から食堂勤務の内定をもらい、99%行くつもりでしたが、残りの1%、どこか腑に落ちずモヤモヤしてました。
友人からの「岩品さんはやりたいことが心の中でもう決まっているのでは?」という一言で、心のモヤモヤが晴れ、とてもホッとした気持ちになりました。
同時に、『蕎麦打ち教室で行く』という強い気持ちを抱き、生活の保証もない茨の道、蕎麦打ち教室の道を歩む事を決断しました。
教室を始めた頃、『5年後、笑顔でいられるように』と目標を立てました。
「5年後笑顔でいられているよ。目標達成できたよ!」とその頃の私に言ってあげたいです。蕎麦打ち教室の道を選んで間違いなかったと自負してます。
江戸時代中期から始まった日本の良き食文化『蕎麦打ち』を、次の世代に正確に伝えていく責務を全うしていきます。
余談:晴天を呼ぶ男
晴れ男の異名を持ち、蕎麦打ちパフォーマンス・蕎麦打ち教室開催の際は好天を呼びます!
ただし必ず晴れに出来るとは限りませんので、あらかじめご了承ください!
2024年5月現在の勝率は以下の通りです。
通算開催:535回
通算晴れ男勝敗:465勝27敗43分
完全通算晴れ男勝率:86.915%
ちなみに、日本の年間降水日120日、年間晴れ日確率67.124%
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